公開日: (更新日:

「努力と研鑽で夢は成し得る」大企業の会社設立時と現在を比較!

はじめに

世の中には多くの起業家がおり、また日々新たな起業家が生まれております。しかし、その中でもたった一代で会社をゼロから大企業まで成長させたという起業家はほんの一握りです。そのほんの一握りの起業家はどのようにして最初の一歩を踏み出し、方針をぶらさずスピーディに事業を拡大させ成長を遂げたのでしょうか。そのポイントをチェックそのポイントをいくつかの例とともにみていきたいと思います。

▼目次

会社設立時と現在で、事業規模の違いが発生するワケ

当たり前の話かもしれませんが会社設立後、ほとんどの企業が事業の拡大を目指します。事業の拡大とは、「もともとある事業を大きくすること」と「新しい市場を開拓すること」。この二つに分けられます。既存事業と新規事業を軸に経営のかじ取りを行うことは、起業家・経営者にとって重大な役目の一つです。
事業利益の拡大は企業としての知名度向上に貢献し、結果事業価値があがり企業力の源になります。またなお企業力が増せば優秀な人材を確保しやすく、更なる利益拡大を見込めるという好循環が生まれます。

社会風潮や時流を汲み、現実感のある経営計画を立てながら、時に夢や理想も掲げるという起業家・会社の目標が、更に事業を活性化させるでしょう。

目次へ

一代で築かれた大企業。創業時からの物語と現在の事業規模

会社設立者であり企業代表といえば、パナソニック株式会社を一代で築き上げた故松下幸之助氏を思い浮かべる方も多くいらっしゃるでしょう。

故松下氏は1917年6月、製造販売業者として初めて独立・起業しました。その後1918年3月にパナソニック株式会社の前身である「松下電気器具製作所」を創設、第1次世界大戦後の復興需要による好景気及び戦後恐慌を経て、創業後4年で工場を設計し小企業となりました。
その後、関東大震災、太平洋戦争などとそれらに伴う経済恐慌や復興需要等を経て自社製品の開発・販路拡大と周知に奔走。急変動時代におけるさまざまな危機を脱し、経済復興期から成長期に映る時流の波などに沿った事業計画を立案、実施し、創業50年を経た1971年、ニューヨーク証券取引所にて株式を上場し、世界的な国際企業の一つとなりました。
松下氏は社長職、会長職を経た後に相談役として社の成長に関与するも、1989年に入没しました。

なお松下電器産業株式会社は2008年にからパナソニック株式会社に社名変更し、事業部制を軸とした新たなグループ基本構造に移行。大正、昭和、平成をかけて成長した大企業として、新たな時代を生き抜く体制をグループ全社で敷いています。

故松下氏は、新技術を積極的に取り入れ、時代のニーズを先取りした良い商品を開発し、適切な価格で広めることを大切にしていました。また企業力を支えるため、「ものをつくる前に人をつくる」ことも掲げており、社員・従業員のニーズに応じた各種支援制度なども多様に制定しています。

故松下氏から学べることは、時代を象徴するような国際的な大企業でも、はじめはベンチャー企業であったことです。経営理念に沿った事業展開と独自製品の開発、および社内制度の充実からなる従業員の愛着形成を企業力の礎とし、いち企業としても、
起業家としても成功の道を歩みました。

他にも一代で大企業を築いた起業家とその会社の創業時からの物語と現在の事業規模を見ていきましょう。

ソフトバンクグループ株式会社

代表取締役会長兼社長として、今なお経営のトップに立つ孫正義氏が設立した会社です。グループ傘下には700を超える企業があります。

孫氏は1970代、日本への帰国と起業を前提にアメリカに留学、勉学に励む中で「音声付き自動翻訳機」を開発し、当時のシャープ株式会社に試作機を販売。その後、学生ビジネスマンとしてゲーム機の輸出入事業を行う会社をアメリカで設立し黒字化させることで、2つの事業で2億円近い資金を獲得しました。

帰国後の1981年、福岡で「株式会社日本ソフトバンク」を設立。当時は孫氏とアルバイト2名のみで、パソコンソフトウェアの卸売業とパソコン関連の出版事業を行っていました。
1990年に社名を「ソフトバンク株式会社」に変更し、Yahoo Inc.との共同出資により日本法人ヤフーの設立やオーストラリアThe News Corporation Limitedとデジタル衛星放送事業提携、その他合併や出資、株式買収などを経て企業力を充填拡大していきます。

2001年からADSL接続サービスのYahoo! BBの提供を開始し、それ以降、PCソフト卸・PC出版から「通信」に本業の軸足を移行、通信分野に参入します。2004年にはボーダフォン・グループの日本法人を買収し、移動通信事業を展開。日本の通信インフラを担う巨大企業として成長しました。

  • 創業から36年で・・・
  • 【資本金】2387億7200万円
  • 【連結従業員数】6万8402人
  • 【連結売上高】8兆9010億400万円

参考(ソフトバンググループ 企業・IRページ)
「http://toyokeizai.net/articles/-/9565」
「https://www.softbank.jp/corp/about/history/」
「https://www.softbank.jp/corp/irinfo/financials/results/business_results/」

日本電産株式会社

創業者であり現在も代表取締役会長兼社長を務める永守重信氏による日本電産株式会社は、連結従業員10万人を超え売上高1兆円を超す大企業です。

電機分野で優秀な成績を収めた学生であった永守氏は、卒業後の就職を経て、1973年に精密小型ACモーターの製造・販売を展開する日本電産株式会社を設立します。その後、フロッピーディスクドライブ用精密小型ACモーター、OA機器用精密小型ACモーター、ハードディスク用スピンドルモータ、プラスチック型低コストファン、HDD用モーターなど電機製品における専門小型部品を多く開発・生産しました。1976年にアメリカ、1989年にはシンガポール、1990年にはタイ、1992年には中国などで現地法人を設立し、海外拠点を軸にした事業拡大も行っています。

永守氏が、自社を世界No.1の総合モーターメーカー企業として育て上げた手法の一つとして、合併や買収を行うM&A戦略手腕に長けていたことが挙げられます。経営不振に陥った企業を買収し、子会社化して再建させることで、電機分野の技術と保護発展に多大に貢献しました。

  • 創業から44年で・・・
  • 【資本金】877億8400万円
  • 【連結従業員数】10万7062名
  • 【連結売上高】1兆1992億1100万円

参考(日本電産株式会社 会社概要)
「http://www.nidec.com/ja-JP/corporate/about/history/all/1970/」
「http://www.nidec.com/ja-JP/corporate/about/outline/」

本田技研工業株式会社

言わずと知れた日本が世界に誇る自動車・バイクメーカーである本田技研工業株式会社。創業者の故本田宗一郎氏は、自動車・オートバイ領域のエンジニアリングに精通しながらも、アイデア発案に長けた発明家でもありました。

1945年にそれまで本業としていた自動車修理工場事業を売却し、1946年、故郷である静岡県浜松で小さな町工場を始めたのが本田技研工業の前身です。主要事業を構想していた本田氏は、その後、車輪動力を発生させる原動機であるエンジンに着目。既存品を加工した補助エンジン付き自転車の製造販売に着手しました。
1974年にはエンジンの自社開発に乗り出し、エンジンを組み立てるまでの生産ラインも独自に構築。1948年に資本金100万円と従業員34名で、「本田技研工業株式会社」として創立しました。

1949年、いわゆるオートバイの原型である本格的2輪車の生産に成功し、モーターサイクルメーカーの一つとして台頭し始めます。その後も、それまで開発の主軸であった2ストロークエンジンのコストデメリットを改善させた、独自の4ストロークエンジン搭載のオートバイを開発・販売したことで事業が飛躍的に拡大。
のちも戦後の度重なる経済不況を乗り越え、果敢なチャレンジを続けたことで、国内最大を経て世界的な2輪車メーカーへと成長しました。

本田技研工業株式会社の成長背景には、故本田氏による「世界一基準」という理念が起点の一つにあります。これまでにない新しい概念を基軸にした製品開発と生産体制を社内に浸透させることで、“世界のHonda”へ躍進しました。
それを証明するように2015年度四輪車販売数で世界第7位、二輪車では販売台数・売上規模ともに世界首位となっています。

  • 創業から69年で・・・
  • 【資本金】860億円
  • 【グループ会社】国内外442社
  • 【連結従業員】21万1915名
  • 【連結売上高】13兆9992億円

参考(本田技研工業株式会社 会社概要)
「http://www.honda.co.jp/guide/corporate-profile/pdf/Honda_CorporateProfile_digest_2017.pdf」
「http://www.honda.co.jp/50years-history/index.html」
「https://ja.wikipedia.org/wiki/」
「https://4knn.tv/world-car-maker-ranking/」
「https://gyokai-search.com/3-bike.htm」

楽天株式会社

株式会社エム・ディー・エム(現・楽天)は、創業者で代表取締役会長兼社長である三木谷浩史氏を中心に興されました。
三木谷氏は1995年にコンサルティング会社のクリムゾングループを設立し、そこでの資金をもとに1997年に楽天を創業。インターネット黎明期であり、インターネットで人は物を買わないとされていた1990年代、Eコマースが主流となる時代を見越し、インターネット・ショッピングモール「楽天市場」のサービスを開始しました。1999年、社名を楽天株式会社へ変更し、2000年には株式を公開。上場で得た資金によるM&A等を介し、事業を拡大させ続けました。

従業員6名、サーバー1台、登録店舗13店舗で始まった「楽天市場」は、現在では月間PV30億以上、国内会員数9000万名を誇り、国内最大のショッピングサイトとして君臨しています。そのほか、独自に掲げる経済圏形成に向けて邁進を重ねています。

  • 創業から20年で・・・
  • 【資本金】2045億6200万円
  • 【連結売上高】7819億1600万円
  • 【連結従業員数】1万4134名

参考(楽天株式会社 会社概要)
「https://corp.rakuten.co.jp/about/」
「https://corp.rakuten.co.jp/about/history.html」
「https://ja.wikipedia.org/wiki/」

株式会社スタートトゥデイ

ファッション通販サイト「ZOZO TOWN」を運営する株式会社スタートトゥデイは、1995年、創業者であり代表取締役社長の前澤友作氏によって創業されました。創業当時は輸入CD・レコードの通信販売を軸に事業展開し、1998年に有限会社スタート・トゥデイとして法人化しました。
2000年に株式会社への改組を行い、事業の主軸をアパレル販売を中心としたインターネット通販に切り替えたことで会社が大幅に成長。2007年に東証マザーズに上場。2011年にZOZOTOWNのグローバルサイトを開設し、その後、他社との業務提携や合併、株式交換など多岐にわたるM&Aを経て現在の事業規模に拡大させました。

ストリートカルチャーをベースとした前澤氏の発想力と先見力を企業の礎とし、2020年代の日本発展を担う企業の一つとして注目されています。

  • 創業から19年で・・・
  • 【資本金】13憶5990万3千円
  • 【従業員数】838人
  • 【売上高】763億円

参考(株式会社スタートトゥデイ 会社概要)
「https://www.starttoday.jp/about/profile/」
「https://ja.wikipedia.org/wiki/」

目次へ

大企業はなぜ成長できたのか

企業が大きく成長するためにはなにが必要なのか。明確な答えは存在しないのかもしれません。
しかし、これまでに例として挙げてきたような大企業と呼ばれる企業には「ゆるぎない経営理念」「事業価値の創出・発信」「たゆまぬ企業努力」「信頼のおける仲間づくり(グループ拡大)」が共通項として存在します。

また同時に時流や社会風潮を読み取り、自社の経営や商流に反映させるスピード感とそれらを決議する判断力も兼ね備えています。


上記を踏まえた上で、日々の研鑽を欠かせない起業家が設立する企業こそが、一代での成功をなし得るような、大企業になる可能性があると言えるのではないでしょうか。

目次へ

LINE友だち追加
PC用のフローティングバナー